おおそうじ

去年の秋に、ローフード(生菜食)と出会ってから、ずっと午前中は食べないか、果物、もしくは果物と野菜のジュースというサイクルを続けてきた。
身体や肌の状態はよくなり、つかれやすかったのが元気になった。
今年に入ってから、月1回の1日断食も続けてる。
断食のすごいところは、食べない状態をわかることによって、食べることのありがたさを実感できることだ。
更に、空腹状態を超えるまでは、何度も何度も食べ物のことが頭にうかんできて、自分の(食)欲の深さを知る事になる。
一山超えると、空腹感を余り感じなくなってきて、感覚がするどくなり、神経がこまやかになる。それも新鮮な体験。
飽食の時代の断食はたいそう贅沢かもしれないが、そのこととは別次元で、断食の身体に及ぼす感覚は、深い気づきをあたえてくれる。

身体を健康に、軽く、気持ちのいい状態にしておきたいのはもちろんだが、
心の状態も、悩みや不安にまどわされず平静でありたい。
ローフードと呼ばれる食のあり方は、身体だけでなく、心、波動にも作用する、と感じている。
火を使わずに、生で食べる、という原始的な食事のあり方。
それは水の食であり、水によってみずみずしく、身体の毒素や心の汚れを水で流して、おそうじしてくれる。
マクロビオテイック(玄米菜食)は、火を使って、食物の持つ力をじっくり濃縮してエキスにしたり、うまみを引き出したりする。
それは火の食であり、火によって、身体の芯を丈夫に、力を養う。
火と水を合わせて、火水(かみ)神の食になる〜
ローフードとマクロビィオテイックの理論は相反するものがあるが、私は両方、美味しいから好き。
どちらがいい悪い、優れてる劣っているではなく、両極を知り、ミックスして遊ぶのが楽しい。

今まで火の食事をしてきた私にとって、水の食事に出会えた事は、大きかった。
サラダ山盛り1皿でお腹がいっぱいになる。少ないエネルギーゆえに、軽くなり、元気になる。
よくいわれるけど、背中に羽根がはえて天使や妖精になったような心地。
こんな気持ち良さは、ロー、もしくは食べない事をやってみて初めて知った感覚だ。

でも、そんな食事ばかりをつづけてると、ご飯や甘いおやつが恋しくなるのも人間の性。
何でもそうだけど、振り子の様に片方に振り切ってしまうと、偏り過ぎてあちら側に傾き始める。
だからアチラ側もコチラ側も大事なのである。
全体を知り中庸を遊ぶ。陰極まれば陽となる。表裏一体神一重。
今年は食べ物をとうして、身をもって、其の教えを感じ入っている。
毎日食べている食事は、私の意識と身体を動かしてゆくエネルギー。
ローフードは私にとっておおそうじの大きなきっかけと導きをくれた。

ローフードを教えてくれた平和活動家のきくちゆみさんのブログに面白い事が書いてあった。

久々にパソコンが手元に戻ってきて、
友人のメールを読んでいたら、すごく面白いことが。
ローフードのことを英語でLiving foodと言ったりしますが。
・・・
rawを逆さに読むとWarで、liveを逆さに読むとevil!
ローフードは戦争をひっくり返し、
live(生きていること)はevil(悪)をひっくり返すことに
なるのでしょうかね?
なんだか、私が911事件からロフードまで取り組んでいる
ワケがちょっとわかったような。

http://kikuchiyumi.blogspot.com/

こういうのってすごい。こんな語呂合わせやシャレから、
あっそっか〜って、ふにおちて、真理がわかる時がある。
ローフードを食べたから直接戦争をやめさせられるということでないけど、食はこうでなければいけない、という思い込みのワクをはずす、
ひとつのあり方に気づき、そのエネルギーが人の意識と身体に働きかける事はできる。
食べるために過剰に生産、加工されている食物を見直し、どう食べるか、ということだけでなく、どう食べないか、という発想があることに気づく。
そんなふうに考えると、世界中でどう戦争が存在してるのか、ということばかりにフォーカスするだけでなく、
どう平和が存在してるのか、ということも大切なことだとわかる。
戦争にnoというばかりでなく、平和な状態にあらためてyesということ。

それは、もうすでに其の境地であることに気がつき、其の状態に感謝するということ。
もとをただせば、すべて自分の意識からはじまる。
だから外側に平和をもとめても、自分の内側が平安でなければ、満たされない。
満たされない事で、不平不満不安が生まれ、心が乱れる。
そうなると、もともと宇宙生命はすべてひとつであったのに、自分と他をわけ、分離する。
そして、善悪の種をまき、比べて競争する、そこからまた争いがはじまる。。。

今、世の中の立て替え、立て直しがされているといわれているが、
ということはひとりひとりの立て替え、立て直しもされているってことだ。
今、本当に大事なのは、ひとりひとりの心のおそうじ。
物質的にみたされて一時的なきっかけや満足はえられても、
いくら外側に癒しを求めても、すべては自分の内側からはじまっているから、自分が自分にokをださないと、苦しくて仕方ない。

私も11月は、ハートがいたくていたくて、涙が止まらない時があった。
外側に答えはないとわかっていたので、自分に向き合ってみた。
すると自分の中でブロックされてるものに気づいて、その執着や欲をちょっと手放してみたら、楽になってきた。
おおそうじはまだつづいてるけど、
今ここに、すでに生きている自分に気づいて、ありがたく、楽しくなってきた。
心の平安。シャンテイ。感謝。

私は歌を歌うことで、自分の中のシャンテイを感じることができる。
みんな、自分が好きで楽しめることをやることで、シャンテイの境地にいき、愛をハグ組んでいける。

愛と平和はすでに、ここにあるんだね、自分の中に。
そしてそこから世界ははじまってゆく〜〜〜

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